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大阪 日本橋 SMクラブ Fetishi-SM

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■30分 9.000円~

プロフィール長身日記

04/30 10:00

隷属という関係 SM的いろはにほへと


よくSMに馴染の無い人から聞かれる質問に

「マゾと奴隷の違いは?」

というのがある。

ちょっと解かりにくい例えになるが


お菓子



有名菓子職人の作った苺のショートケーキ


というくらい違う。


マゾというのは、
人間の性質の部分を指す言葉で、
そこには、行動パターンを含め
さまざまな状況に置いて、
自分が何かに抗うことに若干の悦びを感じて
それを活力にできる人たちや状態を指すと
私は考えている。

だから、マゾという言葉は
個人を指すときもあるが、
不特定多数に使うことも多い。


しかし、SMでいう奴隷と言うのは、
誰かに隷属している個人、
または限定された複数人を指すので、

不特定多数には使う言葉ではない。


隷という漢字は、
とても興味深い成り立ちをしている


20200430


「神に捧げられた生贄」


それが、しもべであり奴隷なのである。


しもべと言うと、

私の中では、横山光輝さんの「バビル2世」だ

その中でも、ロデムの果たすポジションが
一番、理想のしもべに近い。


では、しもべと奴隷は何が違うのか。


私の中で、奴隷という存在は
ちょっと捉え方が
他の女王様、御主人様方と違う気がするけれど

「神に捧げられた生贄」にとても近い。


奴隷=召使というのが、
世間一般的な認識だと思う。


それは、

人類の歴史上、

強いものが弱いものを支配するという
弱肉強食ルールによって


戦争が起こるたびに、
敗者は奴隷として隷属を強要されたからだ。

もっと残念な歴史を指摘すれば

自分たちよりも豊かな知恵を持ち、
優れた身体能力を持つ人たちが築き上げた
自然と上手に共存していた文化を根絶やしにし、
無理矢理、荒れ果てた地へ連れ去っている。


そういう視点から見ると、

奴隷と言う言葉や歴史的背景に対して
正直、あまり好ましくないなと私は思う。


勿論、植民地支配や奴隷交易が行われた結果に
アメリカで生まれたジャズやリズム&ブルース、ゴスペル
素晴らしい文化もあるし、
紅茶、コーヒーやチョコレート、胡椒
ジャガイモやトマト、ナスなどもその恩恵で
私たちの食卓を彩ってくれる。

私たちが普段当たり前に手にしているものは
奴隷交易や植民地時代の副産物だ。

全ては、良い面とそうでない面の表裏一体なのだ。


物理的な力で隷属させられた場合、
必ず、反撃される。


これが、弱肉強食ルールではまかり通る。


不満は下剋上の芽になるからだ。


歴史と政治の視点から見ると、

人類の歴史はその繰り返しである。


だが、崇拝や畏怖という
精神的な隷属であれば、

物理的なものよりは、多少ましで


上手く作用すれば、
言葉一つで隷従をより強固なものへと出来る。



私は、精神的な隷属に基づいた上で

「神に捧げもの」として選ばれたしもべを

自分の眷属として扱う主従関係が理想だ。



これは、叶恭子さんの名言にも通じているのだが、



『ゆるぎない経済力』

『たぐいまれな芸術的才能』

『逆境を乗り越えられる知恵』

『海より深い他人への思いやり』

『鋼のメンタル』



この5つの内、3つが該当すれば
専属奴隷見習いとして扱ってもいいとは思う。
見習いから無事育つかは、本人次第だ。


叶恭子さんはお優しいから、


美貌、経済力、愛情の3つのうち
2つがクリアできれば、
交際相手として充分だとおっしゃるが


SMの主従関係には、
外見の美醜よりも
精神的な強さと体力のほうが重要だし、


一から手取り足取り育てるのも
それはそれで楽しいが、

いつまでも愚図だなんだと罵るのは
出来れば御免被りたい。




私の専属奴隷、と呼ぶならば
どこに出しても恥ずかしくないくらいの人間性や
魅力をもつ自慢の奴隷であって欲しいのだ。





勿論、あくまでも理想論なので

「よし、飼ってみよう!」

とプレイ中に何かしらピンときたら、

じわじわと飼殺そうとするかもしれない。



SMでの主従関係は、

お互いに相手を選んだうえで始まる。


だから、


隷属する側も
主人に見限られないよう
努力を怠ってはならないが


隷属させる側もまた、
尊敬に値する主人で在り続けることが大事。



そのお互いに切磋琢磨できる状況が


SMで得られる最も素晴らしい人間関係の築き方だと思う。




TAMAKI

04/29 10:00

叩くというコミュニケーション SM的いろはにほへと

叩くことは、
実にいろんなことを
相手に伝えられる。


その代表的な例が、
スパンキングと言う躾けである。


ヨーロッパでしつけと言えば、
パドルやラケットという打具を用いる
服の上からのスパンキングが
未だに主流である。


ここが、日本文化との違いだと思うのだが

ドラえもんやサザエさんといった
昭和世代のアニメーションでは、

「廊下へ立ってろ!!!」

というお決まりのセリフが有ったのだけど、


痛みと辱めで身体に覚え込ますという
欧米の躾けと

冷静になって自分と対話をさせるという
日本の躾け。


とても真逆で
罰と言う物への捉え方が違うということを
指し示すいい例だと思う。



さて、「叩く」行為に話を戻そう。


私はよく、叩くことで
マゾを次の行動へと誘導する。


追い立てることを「ケツを叩く」というが
後ろから追い立てて、前進させるには
背中より、足より、ケツを叩くのが正解である。

なぜなら、痛みから逃げようと
前へと向かおうとするから。


あと、意識を特定の場所へ向けさせるときにも
軽くその部位を叩く。

両手を合わせて手を打つ事を
「柏手を叩く」というが、

叩くことは、音と衝撃両方から
周りへと合図を送ることもできる。

だから、神社へお参りする時に
しめ縄の前で柏手を2度打つのも、


音と振動で
社に奉納されている神様へ
お参りに来訪したことをお知らせすることと
自分の穢れ祓いをするためなのだ。


そう、「叩く」には
相手を清めるという意味も有る。

中世ヨーロッパで、
黒死病とよばれたペストの大流行の際、
自分の背中を鞭で叩きまくるという
眉唾物でしかない行為が、
病魔を祓い、ペスト予防になる
と民間で信じられていた歴史がある。

これは、別にヨーロッパに限った話では無く、

古今東西、魔物祓いには
神聖な木の枝などで
その相手の身体を叩くことで
魔物を追い出すことが出来るという伝承は
世界中にある。


SMプレイも、ある意味欲の浄化なので、

叩き続けることで、清まる部分もあるかもしれない。


「叩く」という誰にでも出来る行為には、
沢山の意味が有るのだ。


そして、

ビンタやスパンキングのように、
素手で叩く行為は
相手の感情をより強く感じとれる。


おびえているのか、
興奮しているのか、
反省しているのか、


叩くとき一瞬に触れる皮膚が
相手の感情を教えてくれる。


そして、

叩かれる側も
打たれる瞬間に触れられる手のひらに


どんな感情を持って
相手が自分を打っているのか
判るのだ。


心配している、
怒っている、
悲しんでいる、
楽しんでいる、


このコミュニケーションが
成り立つのも、

ヒトの五感がとても豊かだからである。


相手を知ろうとする。

その方法は
言葉や表情だけではない。


勿論、

見ず知らずの相手に
いきなり「叩く」という
コミュニケーションが成り立つかと言えば


なかなかに難しい部分もある。


プレーンオムレツや
ペペロンチーノ、
お吸い物

シンプルな料理ほど難しいとされるように、


「叩く」というコミュニケーションもまた、
とても奥が深い高度な意思疎通手段なのである。


SM的いろはにほへと、

皆に随分楽しんでもらえているようで
とても嬉しい。

皆が楽しみにしてくれているという事実が

日々こうして、
お題を選び、言葉をつづることに
私の肩や背を叩いてくれる。


4月から5月へとカレンダーも変わるけれど、

また直接、

「叩く」コミュニケーションを取れる日々まで

もうしばしの間、
今自分にできることで乗り切りましょう。


Stay gentle

他人にも自分にも誠実でいてね


TAMAKI


04/28 12:30

余韻を持たせる SM的いろはにほへと


いきなり、SMとは関係ない話から始めるけれど、

映画やコンサートの良さは、
観終わった後の答え合わせにもある。


一緒に行った友人同士で
見終わった直後の感想を言い合うのも

SNSで感想を感情のまま吐き出して



「わかる~!」
「オレモ~!」
「ナカーマ!」




という連帯感を味わうことで


よりその作品やアーティストへの感情が深まることは
少なからず皆、経験があると思う。



何かにドはまりする時って、
その行為の真っ最中に感じた


「あ、ヤバい堕ちたコレ」


という体感もそうだけど


過ぎた後の余韻が



「あれをまた体験したい」

「あの時のあれは本当に良かった」



という後引き効果をもたせて、
その感動をよりすごかったように感じさせると思う。



SMプレイには、
沢山の余韻をもたらしてくれる要素がたくさんある。



緊縛であれば、縄痕

鞭やケインなら、鞭痕や痛み

乳首責めなら、乳首の疼き



それ以外にも、

女王がふと見せる笑顔やまなざし

プレイ中に浴びせられた言葉や
言葉責めで刷り込まれたキーワード

匂い

感触

ぬくもり



五感全てに、後から訴えかけてくる余韻が
きっと、他の行為よりも多いと思う。



どの余韻がより深く強く
皆の心に響き残るのかは、


同じ店の同じ料理を食べたときの感動が違うように
毎回違うだろうし、


意図的に余韻を持たせようとしたところで
それが狙い通りに行くわけでもない。



それだけ人間の五感は複雑で繊細なのだ。



SMの良さは、余韻を味わうところにもある。


プレイブログにしても、

きっと皆、
何度も同じ記事を読み込んで
余韻を味わってくれているんだと思う。



プレイの最中は、


目の前の一瞬を見逃したくないから

集中しているけれども


道具を片づける時に、

私も余韻に浸っている。


自分的に、すごく良い責め方が出来たり

性的興奮が冷めやらぬ時は


数日たっても、
ふっと余韻が蘇ることがある。


そういう時に、


SMを続けていられることを
とてもありがたい事だと思う。



TAMAKI


04/27 10:30

快楽と言う苦しみ SM的いろはにほへと

こころよい
たのしい

と書いて

快楽とよむけれど



SM的快楽は、
そんな生易しいものじゃない。



狂わせ、
焦らし、


何度も何度も
許しを乞うほどに


体力の限界まで追い込む。



頭のネジが外れまくって、

呼吸するのがやっとの状態



ソコから更に、


今まで焦らし続けた分を
上乗せするように


快楽を与え続ける。



甘いお菓子も
美味しい料理も


満腹を越えれば
苦痛苦行になるでしょう。



一度果てれば終わりなんて、
誰が決めたの?



痛みは徐々に慣れていくけど、


快楽は増幅するだけ。



ドーパミンが過剰分泌されて、

理性を焼ききり、

意識が飛んで
ブラックアウトするまで


留まらない快楽の追随。



意識が飛んでも、

叩き起こして、

無限ループの繰り返し。




そんな究極の折檻、

果たして何処まで耐えられる?




廃人になるまで、
ひたすら弄ばれて


意思さえも持てない傀儡。


幸せな余生の在り方かもね。


その代わり、


今までの全てを失う
覚悟がなければ


快楽漬けになんて
絶対にしてやらない。



さぁ、どちらが
本当の幸せなのか?



選ぶのも決めるのも、


自分次第だね。



大丈夫。


「コロシテ」って言わない限り


そんな責めは与えないから。




TAKAKI


04/26 10:30

猥褻物陳列罪 SM的いろはにほへと


SMやフェチを楽しむ人の一部に

屋外でのプレイや調教に
強い憧れがある人がいる。


私も過去に、お散歩と称して
プレイ中に外出した事がある。


こちらはただ、
連れ出すだけなので

ある一点以外の事だけ
慎重になる。


それは、

猥褻物陳列罪で
しょっぴかれたり、
通報されると言う事。


猥褻物陳列罪って、

具体的にどういう状況が
当てはまるのか?


時々、酔っぱらいの
オッサンやニーチャンが
道端で立ちションしてるけども、


立ち小便は猥褻物陳列罪には
なるのだろうか?


ちなみに、猥褻物陳列罪は

刑法175条の猥褻物流布等に該当する。


わいせつの定義については,最高裁判所が示したものがあり,「いたずらに性欲を興奮または刺激せしめ,かつ,普通人の正常な性的羞恥心を害し,善良な性的道義観念に反するもの」(最高裁判例 昭和26年5月10日刑集5巻6号1026頁)と考えられています。

これが、今の日本の法律的な見解事例。


と言う事でいうと

週刊誌や漫画のグラビアは

「購入者の性的興奮を煽る目的」

と保護者やフェミニスト的視点からだと

限りなく黒に近いし、


製作販売した出版元からは、


「芸術表現の自由」として


多少、反論出来る余地は
あるかもしれない。




要するに、


10人中8人以上が

「エロい」と感じて、

なおかつ、

「いいね!」「素敵!」


と評価できる表現以外は


法律上、猥褻物になるってこと。



これ、本当に難しい基準だと思う。


性的なスイッチが、

1+1=2 と同じように


異性 × ハダカ = ムラムラ


と言う単純な方程式であれば、


法律なんて無くても良い。


ソコに色んな条件があり、

「え、ソコに反応する!?」

と言うイレギュラーの方が多いから、


アダルトカテゴリーが
どんどん広く
マニアックになっていってるし


世界的に見れば
セクシャリティの細分化も
年々進んでる。


だから、SMやフェチで言えば


10人中、1人以下の行為に
性的興奮する場合だから

普通人の正常な性的羞恥心を害し,善良な性的道義観念に反するもの

ここに見事、当てはまる(笑)



だから、

首輪とボールギャク、
顔面拘束具を着けさせてのお散歩は

当然アウトだし


乳首や性器だけ隠した状況で
窓や玄関を開け放つのも
屋外に人が行き来する場所であれば


当然アウトだ。


それは、誰かの感情を逆撫でする
可能性があるから。


猥褻物を不特定多数に発信する。

ソコには、

「知らずに発信した」

「わかってて発信した」

ここが法律的に問われるのだ。



第三者への気遣いを出来るなら、

野外調教はとても楽しいし、

責めやすい。


ただ、そこに羞恥の要素を
どこまで付け加えるかで


出来る事は、限られてくる。


『イケナイ事』には、毒がある。

それは、蜜のように甘い香りで
興奮させて、欲しがらせるように

優しく手招きしてる。


手招きに気を取られて、
うっかり、
毒が回りすぎる事がないように


賢く、楽しまなくてはね。


あ、ちなみに


立ち小便は、

『軽犯罪法 第一条 左の各号の一』に記載されている『街路又は公園の他公衆の集合する場所で、たんつばを吐き、又は大小便をし、若しくはこれをさせた者』にあたいすると軽犯罪法違反として罪に問われ、1日以上30日未満の拘留または1,000円以上1万円未満の科料が科されます。

男性諸君、お気をつけあそばせ。



TAKAKI

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